キラリティとは|Chirality

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キラリティとは|Chirality

キラリティ(Chirality,または 「カイラリティ」)とは、「ある対象が、その鏡像と重ね合わせることができない性質」のことである。これは物理学、化学、生物学をはじめ広い分野で重要な概念となっており、日本語では「掌性(しょうせい)」とも呼ばれる。

日常的な例としては、人間の左右の手が挙げられる。左右の手は鏡像関係にあるが、どれだけ回転してもぴったりと重なり合わない。このような性質を持つものが「キラル(chiral)」であり、そうでない(重ねられる)ものは「アキラル(achiral)」と呼ばれる。

キラリティの歴史的成立過程

キラリティの概念は、主に19世紀以降の化学と物理学の発展を通じて形成されてきた。ここではその歴史を順を追って説明する。

① 酒石酸とパスツール(Louis Pasteur)による発見(1848年)

  • キラリティの科学的研究は、1848年、フランスの化学者ルイ・パスツールが酒石酸(tartaric acid)の結晶を顕微鏡で観察したことから始まった。
  • パスツールは、天然に存在する酒石酸塩の結晶が鏡像関係にある二種類の形態を持ち、それらが互いに重ならないことを発見した。
  • 彼は手作業でこれらの結晶を分け、一方が光学的に右旋性、もう一方が左旋性であることを実証した。これが「光学異性体」の発見となった。

これが、「分子の構造に起因した光学的活性(光旋光性)」がキラリティという概念として認識される最初の出来事である。

② ファント・ホッフ(J.H. van ‘t Hoff)とル・ベル(J.A. Le Bel)による立体化学の成立(1874年)

  • 1874年、オランダのヤコブス・ファント・ホッフとフランスのジョゼフ・ル・ベルが独立して、炭素原子が4つの異なる基と結合しているときに生じる立体異性現象を理論的に説明した。
  • 炭素原子の正四面体構造を仮定し、その構造が鏡像異性体(エナンチオマー)を生み出すことを示した。
  • これは「立体化学(Stereochemistry)」という新たな化学分野の創始をもたらした。

これにより、キラリティは単なる経験的な現象から、分子の立体的構造によって決定される基本的性質であるという認識が生まれた。

③ フィッシャー投影式(Emil Fischer, 1891年)

  • ドイツの化学者エミール・フィッシャーは、糖やアミノ酸など複雑な分子のキラリティを簡単に表記するために「フィッシャー投影式」を考案した。
  • これにより、有機化合物におけるキラリティを視覚的に分かりやすく表現できるようになり、生物化学や医薬分野におけるキラリティの研究が加速した。

④ コーン・インゴルド・プレローグ(Cahn–Ingold–Prelog)表記法の成立(1956年)

  • 20世紀半ば、ロバート・コーン(R.S. Cahn)、クリストファー・インゴルド(C.K. Ingold)、ウラジミール・プレローグ(V. Prelog)らによって「絶対配置(Absolute Configuration)」を決定する体系的な命名法が提唱された。
  • 「R/S表記法」として知られるこの方法は、原子の優先順位を規則的に決定し、立体配置を厳密に定義する方法として現代化学の標準となった。

⑤ 物理学におけるキラリティ:パリティの非保存の発見(1956-1957年)

  • 物理学において、キラリティ概念が明確に意識されたのは、1956年にリー(李政道)とヤン(楊振寧)が提唱した「弱い相互作用におけるパリティ非保存」による。
  • 1957年にウー(呉健雄)がβ崩壊実験でパリティ非保存を実証し、素粒子レベルにおいて「左右非対称性」(キラルな性質)が存在することが示された。
  • これをきっかけとして、キラリティが分子だけでなく、素粒子や場の理論でも本質的に重要な性質であることが認識されるようになった。

⑥ 生物学への影響:生体分子のキラリティ(20世紀後半〜現在)

  • 生体を構成するアミノ酸はほぼすべてが「L型」、糖は「D型」というキラルな構造を持っていることが判明した。これを「ホモキラリティ(Homochirality)」という。
  • なぜ地球上の生命が特定のキラル構造だけを選択的に使用しているのかという謎は、生命の起源や宇宙化学における最重要テーマとなり、現在も研究が続いている。

まとめ:キラリティ概念の進化と位置づけ

  • 19世紀にパスツールによる光学活性の発見を契機に、ファント・ホッフらによって立体化学が確立され、キラリティの科学的定義が形成された。
  • 20世紀中盤以降は、キラリティは物理学(特に素粒子物理)や生物学の基本的な性質として拡張され、現在は自然科学全般において極めて重要な基本概念の一つとして広く浸透している。

キラリティは単なる「左右の違い」ではなく、分子から素粒子、生物に至るまで宇宙を支配する根源的な非対称性(asymmetry)の原理として認識されるに至っている。