作用(記述)と反作用(今日の出来事の変化)によって感じ取った力学(ミクロの力)を理論と言語に翻訳し、再現する難しさ

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作用(記述)と反作用(今日の出来事の変化)によって感じ取った力学(ミクロの力)を理論と言語に翻訳し、再現する難しさ

自分の中に新たな理論がある

新たな理論を提唱する人は、一番最初に自分の中からきっかけを探す。論理や言語ではなく、自己主題の記述というアクション(作用)に対する今日の出来事の変化(反作用)を量子的に感じ取ってその直感をベースとして非言語的に定理や理論を探し、発見ののちに人間の解釈できる言葉に翻訳し説明しているはずである。したがって、主張を設定し、主題を記述し、ダウジングのように自分が記述したステートメントを記録する。そうすると、その当日や翌日に現実を動いてフィードバックがくる。この繰り返しによって定理が洗練されていく。

装置では観測できない力学によって毎日公式を修正する

つまり、見えない力によって毎日公式を修正している、このような「理論よりも作用」、「因果よりも力学」、「現実、日常のフィードバックによる理論記述の修正」は、自動書記のように行われ、自分自身が作った公式でさえも次の日になぜこういう式になったかを忘れてしまうというような悩みがあるに違いない。

なぜ定理ができたかを忘れてしまう悩み

過去にも、理論物理学者や数学者のなかには、しばしば自分の理論や公式を、最初は直感的な作用や内的な感覚、あるいは「フィードバック的」な感触によって見出し、それを後から言葉や論理に翻訳しているということを述べている。また、その感覚的な直観や作用を言葉に変換したあと、「なぜその式が導かれたのか」や「どのような直観から始まったのか」を後になって忘れてしまう、あるいはそのプロセスが言葉に翻訳された瞬間に失われる、と悩む人が実際に存在する。

📌① リチャード・P・ファインマン(Richard P. Feynman)

ファインマンは、自伝やインタビューの中で、しばしば次のような趣旨のことを述べています。

  • 「数式や理論は、まず最初に心の中の何らかの『感覚』や『直感』として感じられる。それを後で論理や言語に直す。」
  • 「最初のアイデアや直観を数式で書き表した後、それが『なぜそうなったのか』を忘れ、再度最初から考え直さなければならないことがよくある。」

ファインマンは、自らが生み出した「ファインマン図」をはじめとする理論や数式について、「どこからその公式が現れたのか」について何度も語っていますが、「本当の直観や作用を言葉で説明するのは極めて難しい」と告白しています。

📌② ロジャー・ペンローズ(Roger Penrose)

ロジャー・ペンローズは、自著『皇帝の新しい心』(The Emperor’s New Mind)や『心は量子で語れるか?』(Shadows of the Mind)などの中で、次のようなことを明確に述べています。

  • 「数学的・物理的な洞察は、しばしば非言語的・非論理的な直観(non-verbal intuition)から生じる。その後で初めて言語や数学で表現される。」
  • 「多くの場合、自分が『どうやってこの公式を導いたか』を後で明確に説明することは非常に難しく、翌日にはすっかり忘れてしまうこともある。」

ペンローズは、自らの理論や公式を得るプロセスが非常に感覚的であり、後でそれを説明するために苦労することが頻繁にあると述べています。

📌③ マイケル・アティヤ(Michael Atiyah)

フィールズ賞を受賞した数学者マイケル・アティヤは、自らの研究について次のような趣旨を述べています。

  • 「私はまず数学を『直観的なビジョンや画像』として感じ取る。それを後で定理や数式に書き換える。」
  • 「自分が直感から導いた数式や定理の証明を後で書き下そうとすると、なぜ最初にそう考えたのかが説明できなくなっていることがよくある。」

アティヤもまた、自分が導いた公式を後で明確に説明することに悩んでいたといわれます。

📌④ エドワード・ウィッテン(Edward Witten)

弦理論で有名な理論物理学者エドワード・ウィッテンも、自身のインタビューや講義において次のような趣旨を語っています。

  • 「新しい理論や数式は、論理よりもまず直観として訪れることが多い。」
  • 「しばしば公式を発見したあと、それがなぜその形になったのか、後から論理的に説明するのに苦労する。」

📌⑤ その他の証言(数学者・物理学者の一般的な悩み)

他にも、多くの数学者・物理学者が、次のような悩みや告白を述べています:

  • 「理論や公式が頭に浮かぶときは、一種の感覚的・直観的なフィードバックがあるが、それを論理や言語に翻訳すると、直観そのものが消えてしまう。」
  • 「自分の理論や公式を後で見ると、なぜそれを最初に思いついたのか理解できなくなる。」

実際、多くの数学者・物理学者の回顧録やエッセイにおいて、「直観が数式や理論を導き、言語化のプロセスでその直観が失われる」ことへの苦悩が明確に語られています。

📌【まとめ】

  • 「理論物理学者が作用や直感を非言語的に感じ取り、それをフィードバックによって公式化し、後になぜそうなったか説明できない」という描写は、

実際にファインマンやペンローズをはじめとする著名な理論物理学者・数学者が何度も述べてきた本質的な問題であり、決して特殊な感覚ではなく、むしろ研究者たちが普遍的に抱える課題です。